映画「夢みる小学校」の上映会を開催しました

 7/1(土)、スポスタ初の保護者会として、映画「夢みる小学校」の上映会を開催しました。この映画は、子どもの力を引き出すことに成功した学校の取り組みを紹介しています。その学校には先生がいません。宿題もテストも通知表の評価もありません。しかし、否、だからと言った方が良いでしょうか、その学校に通う子どもたちは非常に積極的で、自分自身を自由に表現しています。点数や評価を気にするのではなく、自分のために学びを深めています。その学校では、おいしい蕎麦をつくりたいから算数を使って割合を求めるなど、自分のしたいことと学習とが結びついています。やらされの学びではなく、学びの原点がそこにはありました。そんな夢みる小学校のお話ですが、映画を制作したオオタヴィン監督は、「そんな夢のような学校があるから転校した方がいいと言いたい訳ではない」と仰っています。私が思うに、オオタヴィン監督が私たちに伝えたかったこととは、「現在、失敗を恐れずにチャレンジする子どもが減っていませんか。質問力や行動力を備えた子どもが減っていませんか。その原因は、本来子ども達が当たり前に得てきた経験や関係が減少しているからではないですか。そのような由々しき事態を解決する鍵となるのが、今回の映画で紹介する学校の取り組みです。この学校では『もっと自分のままでいいんだよ』と、自己肯定感や主体性が育まれる関わり方を実践しています。また、失敗を恐れずにチャレンジすることができる環境を用意しています。この学校は、今後の子どもの指導の方向性を示しています。だから、今、子どもの近くにいる大人は、この映画を見て、子どもとの関わり方を今一度考えて欲しい」ということだったのではないでしょうか。

 この映画の中で、全てのことを子どもたちが自分で決める制度を見て、私は、私の尊敬するコルチャック先生(ヘンリク・ゴールドシュミット)がつくった子どもの自治・議会を思い出しました。コルチャック先生は、「子どもたちに自治を任せると、上手くいけば子どもたちは満足する。上手くいかなければ悪い結果が起こる。だから、子どもたちは成功するために努力する。また、上手くいかなくても学びになる」と言いました。コルチャック先生は、1878年ワルシャワ生まれで、ユダヤ系ポーランド人。医師・作家・教育者・哲学者・施設経営者であり、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺という極限状態で苦境に立たされた子どもたちの問題に取り組みました。また、国連子どもの権利条約(1989)の基礎となる子ども観を残した人物です。コルチャック先生は、第一次大戦後の1924年に採択されたジュネーブ宣言を批判しました。ジュネーブ宣言は、戦災孤児を救い保護することを目的とし、以下の5カ条からなっていました。

ジュネーブ宣言
1.子どもは身体的にも精神的にも発達していく上で必要なあらゆることを尽くされるべきである。
2.飢餓、病気、ハンディキャップのある子ども、非行児、孤児、浮浪児は援助されるべきである。
3.子どもは危機に際して最初に救済されるべきである。
4.子どもは搾取から保護されるべきである。
5.子どもはその能力が人類のために捧げられているという自覚をもって育てられるべきである。

コルチャック先生は、「ジュネーブの立法者たちは義務と権利を混同してしまった。宣言の論調は主張ではなく説得であり、善意への訴え、優しさのお願いに過ぎない」と批判しました。ジュネーブ宣言の前文では、人類が児童に対して最善のものを与える義務を負うとしたものの、人権享有主体としての子どもを捉えていなかったからです。つまり、「~されるべきである(義務)」と、子どもを保護の対象とした表現が問題であり、必要なのは子どもの権利であると指摘した訳です。

 その後、第二次世界大戦後の1959年、全10条からなる「子どもの権利宣言」では、最低限度の生存保障という水準を超えて、教育を受ける権利、遊びやレクリエーションの権利も明記され、子どもの人格の調和した発達や成長の権利が基本とされました。

 そして、子どもの権利宣言は、子どもの権利条約へと移行されます。父権主義的子ども観から権利主体としての子ども観へ、子どもの最善の利益(最善であることが重要)、子どもの意見表明権(コミュニケーション能力に応じて保障される。言った通りにするという意味ではない)等が盛り込まれ1966年に採択、1976年に発効されました。子どもの意見表明権では、乳幼児の意見表明権にも言及しています。乳幼児は家庭において無力であり、社会においても目に見えない存在であるが、この意見表明権は、年少の子どもと年長の子どもの双方に適用されるものであることを強調しています(乳幼児でも権利の保有者として意見を表明する資格があり、その意見はその年齢および成熟度に従い、正当に重視されるべきである,第12条第1項)。例えば英国では、NGOが体罰について4~7歳の子どもたちの意見を聴いて政府に提出したり、ロンドンの首都圏当局がロンドンでの生活について2~4歳の子どもたちの意見を聴いたり、保育団体がクマのぬいぐるみを使って保育に関する5歳未満児の意見を引き出したりと、様々な取り組みが行われています。そして、子どもの権利条約は1989年に国連で採択、日本では1994年から法的拘束力を持ちました。

 コルチャック先生の最期は、ホロコーストの犠牲となりました。コルチャック先生は先頭に立って、歌を口ずさみながら子どもたちには休暇村に行くといってトレブリンカに向かいました。コルチャック先生は最後の最後まで子どもたちのことを心配し、子どもたちが喉を渇かさないようにと水桶まで用意して貨車に入っていきました。コルチャック先生は、最期まで子どものことだけを考えていました。

 私は、この映画を鑑賞し、コルチャック先生の功績や、子どもの権利条約が生まれた背景や変遷を思い起こすことになりました。それにより、私たちの療育活動と子どもの権利を、今回しっかりと結びつけることができました。オオタヴィン監督、まほろばスタジオさん、今回の上映会では、ご参加いただいた約70名の皆さまと有意義な時間を共有することができました。素晴らしい映画をご制作いただき誠にありがとうございました。上映会にご参加いただいた皆さま、今回はスポスタの初保護者会でしたが、不慣れな進行でたいへんご迷惑をお掛けしました。スポスタでは、9月より毎月勉強会と座談会を開催します。回を重ねながら少しずつ上手に進行できるように努力して参りますので、引き続きご協力をお願いいたします。また、今回、駐車場のご案内のお手伝いをしてくださった方々、朝早くからお越しいただき、また暑い中ご案内をいただき誠にありがとうございました。そして、一緒に映画を鑑賞した子どもたち、子どもにとっては少し難しい内容でしたが、よく頑張って最後まで見てくれました。もうすぐ夏休み。今回の上映会で用意したスクリーンで映画鑑賞会をしましょうね。